マンデラエフェクトに触れるにあたっての心構え
『The Window of Opportunity マンデラ効果への道標 〜超極秘Xファイル〜』
著者・青山濯土氏によるまえがき全文
(誠に恐れ入るが)本書を手にお取りいただいた読者の皆様方の中の多くは、既にマンデラエフェクト(マンデラ効果)現象という概念をご承知おきで、実際に共有しているものや個人的に体験しているものなどがある方がほとんどだろうと思う。そのような皆様が本書を手に取られた目的は、自分の思索を深めたり新たな発見を得るためだろうか?あるいは、権威主義的な観点から、自分の体験などをなんらかの権威によって補充したり補強したりするためだろうか?
著者のポリシーとして、これは宇宙人問題などの他のオカルト分野についても言えることだが、マンデラエフェクトは、絶対に『ファシズム(全体主義的で、権威主義的で、強要的で、反発・反動を絶対完全否定したり、あるいは恣意的に侮辱的な偽旗を立てたりしてアジェンダをコントロールする振る舞い)』になってもいけないし、かといって、現状の、いやしくも誤謬的・教条的・権威主義的なファシズム科学論にも弱腰にならずに対抗できる強さとしなやかさが必要だと私は常々思っている。
最近流行りの、とある東大大学院で物理学科を専攻した素敵なYouTuberの女の子が、(そういう言い方はしていないが要するに)物理学の世界には非常にファシズムがあり、物理学警察を生き甲斐にして、四六時中言論監視している人がいっぱいいて、トンデモ科学認定や、エセ科学認定などが凄まじく、迂闊なことが言えないなどとある動画で言っていたが、しかし、著者は現時点で直接の交流も面識もまだないが、保江邦夫(やすえ・くにお)先生みたいな方もいらっしゃるし、しょせんは、学生・院生レベルで見えている世界ではという話に過ぎないのではないかと思っている。日本の昔からの言葉で、「守・破・離」という言葉があるが、日本の物理学会にはこの守破離がちゃんとあり、イノベーションが生まれる土壌が守られているのだと私は信じている。(まあ私は、物理学に関しては高校中退レベルで、大学受験もろくにやらず、その守破離の「守」にも到達していないレベルなのだが。)
また、著者は科学の光明思想を信じている。誤謬的なファシズム科学論ではなく、例えば、理系ならハンセン病を根絶したり、社会科学なら同和差別問題を解消せしめたりするような、科学のイノベーションの力を信じている。それは、マンデラエフェクト現象を権威主義的に頭ごなしに侮辱的に否定するようなファシズム科学論とはまったく別物である。私は、両親が幸福の科学という程度の低い新興宗教の信者で、幼少期の頃から、例えるならビートたけしのオカルト特番のような、誤謬的な権威主義的な質の低い科学と、それに対立する、やはり誤謬的で権威主義的な質の低い宗教やオカルトという世界観を、イデオロギーや思想ではなく、常識のように信じ込まされてきたが、今、27歳だが、ようやく、ファシズム的な科学論と、それに対立する宗教という二項対立から抜け出し、質の高い科学と質の高いオカルト、それらの取り合い(境目)を見つめて、あるいは立ち振る舞えるようになったのだと思う。
実際のところは、科学とオカルトは対立概念ではないし、むしろ、「パラダイムシフト」という観点で言えば、科学こそがオカルトであるという見解もある。パラダイムシフトとは、アメリカの哲学者のトーマス・サミュエル・クーンが提唱した概念だが、現在では、意図的に意味をねじ曲げられて、あるいは誤解されることが多々あるが、本来彼が言いたかったパラダイムシフト(とりわけ、『科学革命の構造(トーマス・クーン著)』に出てくる「変則的事例」)※4の意味は、マンデラエフェクトにかなり似通った概念である。
そもそも日本以外の西欧先進各国では、科学とオカルトは対立概念であるという概念が稀薄である。日本には、よく言うように、「科学的」「非科学的」などという言葉があるが、著者の知る限り、主な外国語でこの言葉の適訳の単語はない。つまり、日本限定のガラパゴス的なドグマであると思われる。英語なら、オカルティック(Occultic)とか、オカルティズム(Occultism)というような、逆にオカルト側から科学を排斥しようとするような権威主義的なイデオロギー的な言葉はある。「科学的」とか「非科学的」というのは、日本限定のガラパゴス的なイデオロギーでしかない。このような弁理・分別が、社会一般の常識であるかのように蔓延っているのは日本ぐらいかもしれない。この対立概念的なドグマを、権威主義的に相手への侮辱に用いる人々は、低能過ぎて論外である。お話にもならない。
でも仕方のない部分もあるかもしれない。日本国が西洋科学文明を受容した時点で、科学は甚だ発展途上であり、それに歴史の長い国ほど因習的なオカルトを光も闇も沢山抱えてしまうので、一度分別して、科学とオカルトを対立概念のように捉えて対置して、対峙するしかなかったという事情、国を発展させて列強の脅威から国防するには、そうせざるを得なかったという事情があるかもしれない。もしいきなり量子物理学から入ってきていたなら、仏教を吸収して昇華させていた我が国は、科学とオカルトを対立概念のように捉えてしまう病理からは逃れられたかもしれない。
日本人にも科学とオカルトは対立概念ではないという考え方の萌芽は皆無ではないが、アメリカ人が を制作したのに対して、日本人は を制作した。どちらの作品も、科学とオカルトは対立概念ではないという切り口から制作されたエンタメ作品で、実際に大学教授の先生などが監修に参加している作品だが、そのアプローチはまったく真逆である。あるいは、ビートたけし氏の年末恒例のオカルト特番で、プラズマ研究の権威である早稲田大学理工学部名誉教授の大槻義彦教授の主張していることも実は、科学とオカルトは対立概念ではないというアプローチなのだが、日本のオカルト研究家の多くは、科学とオカルトを異なる権威主義同士の対立概念のように捉える権威主義的なドグマに毒されすぎてしまっていて、その固定概念の呪縛から逃れられず、異なる権威と権威の対立軸になってしまい、逆に大槻先生を攻撃してしまうし、また大槻先生も科学とオカルトの対立を異なる権威同士の対立軸のようにしてしまう。これが日本の残念なところであると著者は思う。ただ唯一、たま出版の韮澤潤一郎氏は、オカルトと科学を異なる権威主義同士の対立ではないというアプローチから、芸の心、ユーモアの心で、大槻先生と漫才を演じていたのはあっぱれである。
これを殊更に求めてしまうと、本書が逆に、権威主義や教条主義(ドグマ)の種になりかねないという自己矛盾を生じてしまいかねないので、無条件かつ絶対的には求めないが、著者は、親愛なる読者の皆様が、本書を最後まで読み終えたならば、なるべく、『ファシズム(Fascism)』的ではなくて、『コージー(Cozy)※1』的な意識で「こころ」の平穏を得て、そしてまた同時に、正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると指摘して、権威主義的な誤った科学論からの侮辱的な茶化しや批判を跳ね除けられる、自分のこころを守れる強さとしなやかさを得られることを、願ってやまない。
もともと、オカルトの世界は、コージー※1な意識とファシズムな意識の対立軸があり、壮大なオカルト話やコージー※1な怪奇話をすると、不可思議な話が気に入らないファシズム意識のファシストから、批判や侮辱を受けて荒らされるのが常であり、宿命であるが、マンデラエフェクトの世界では、特にこれが酷かった。著者も、数えきれないほど叩かれて侮辱された。特に、インターネット、とりわけオカルト板では、疲れていたり混乱したりしていて、文章に混乱によりパワーがなかったりするような状態の文章を書くと、彼は統合失調症であるというふうにしようとする荒らしがいるので、私は体調が悪くて疲れきっていたときに利用を始めたことも原因の一つとは考えられるのだが、しかしそれにしても、オカルトの世界には、例えば、宇宙人に関する話題、予知・予言界隈など、他にも壮大な話の界隈があるのだが、なぜこれほどまでにマンデラエフェクトの話題は荒らされやすいのだろうか。
おそらく、その他の(大きな)オカルト話は、すでに大体すべて、例えば、年末恒例のビートたけしのオカルト特番なんかで取り上げられて、その際、我々一般人のコージー※1な意識とファシズムな意識の調和、中和をしてくれる、間を取り持つ存在の一つに、芸能界と芸能人があるが、テレビで芸能人たちが、不思議な体験談を語ったり、あるいは、肯定派・否定派に別れて侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をしたりするなどして、あるいは宇宙人の映画ならスティーブン・スピルバーグ監督作品の『ET』やマイケル・ベイ監督らによる などがあり、要は、こなれさせて、ならされていて、話題として熟しているのだが、マンデラエフェクトは、現在まだそれが不十分であるということが言えると著者は思う。
未確認飛行物体(UFO)や宇宙人の話題も、今でこそかなり熟しているが、当初は、あるいは現在でも、日米間や米ソ間の戦争や対立に関係する軍事情報として要注意で取り扱われるようなセンシティブな課題であったし、あるいは、宇宙人の話題は、人間のコージー※1な意識とファシズムな意識の内部葛藤を刺激するため、現政治体制を揺るがす問題として注意深く取り扱われ、政府当局(各国政府や各国軍の情報部)によって、さまざまな創作物やテレビ番組などで、ならしてこなれさせて、民心を落ち着かせるまでに長い時間と手間を要したし、現在でもその正体について、例えば、裏宇宙(反社会的なテロリズム宇宙、要は地獄)から訪れる悪魔的存在や、未来人などなのではないかとも考察されることがあり、けっして朴訥(ぼくとつ)なオカルト愛好者のロマンの世界ばかりということはない。
マンデラエフェクトは、その語源も、もともとは南アフリカ共和国の人種差別・政情問題(ネルソン・マンデラ···南アフリカの反人種差別活動家で、のちに黒人初の南アフリカ共和国の大統領に就任···は実際は2013年12月に死去し国葬されたが、1980年代に悲劇的に獄中死したと記憶していた人が数多くいた)に端を発する話なので、そもそも大きな話になりやすいから、取り扱いも、UFO問題などと同等の慎重さを要すると言えるだろう。
日本最大の匿名掲示板である、5ちゃんねるのオカルト板を開くと、冒頭に「ここはオカルト版です。オカルトを学問的に追及したい人、娯楽として楽しむ人、それぞれが異なる立場で参加しています。互いを尊重し不快な思いをさせないよう心がけましょう。」などという注意書きがあるが、これこそ、マルクス主義の史的唯物論※3を起源とする、現代のオカルトの規律と統治の支配的なイデオロギーの象徴的な文言である。イデオロギーや思想ではなく、常識だ、と思っている人も少なくないイデオロギーである。私自身も、この意識に以前は当たり前のように毒されて支配されてしまっていた。
私自身、最初にマンデラエフェクト現象に気づいたときは、これはおそらく、精神医学的には、離人症という精神症状だと思うが、自分の意識があるのが怖い、自分の意識が続いていくのが怖いという状態になってしまい、72時間ぐらい一睡もできなくなり、胃の中のものを全て嘔吐して、何も食べられず水しか飲めなくなり、階段を降りるだけで脚がプルプル震えるようになり、仮にも例えば、天皇家の皇太子とかがそういう精神状態にるならまだ分からなくもないが、公立小中学校卒で、実家は狭小で、歯列矯正していて···などと、直接手が届いて、目で見えて、耳で聞こえて、足で歩いて行けるような、イッツ・ア・スモールワールド的な、心地よいコージー(Cozy)※1な世界に意識を集中したりもした。
のちに、内観を重ねるうちに、なぜそんな意識になってしまったのかに気付いた。ナチュラルに、自分の中に、ファシズム的な意識があるためである。私は、本当にナチュラルに意識にファシズムがあって、こういうことを不思議だなあと感じてしまう時点で世渡りのセンスがなく、恥ずべきことなのだが、私は今まで、建設業の職人、消防設備士、警備員などの経験があるが、社会主義国や北朝鮮のようなファシズムの専制国家はどうだか知らないが、日本国の場合は、無数にパラレルワールドがバックアップ的に存在しているのかは分からないが、なり手がどこかから出てくるみたいな感じだから、人材が豊富で枯渇しないし、人材の質はけっして低くないみたいな感じなのと、著者は、自分自身がそれらの仕事をやっているときは、他になれるものがなくて仕方なくやっているみたいな卑屈な意識で、周囲からもそう思われているのだろうと思っていたら、意外とそんなことはない、という体験が結構ある。
これがもし、北朝鮮のようなファシズムの専制国家だったら、あの仕事は他になれるものがなかった人が仕方なくやる仕事だみたいな意識が強くなるし、人材も不足するのだろうと思う。そういうことを当たり前だと思えない、ファシズム的な卑しい意識と根性が根強くあるから、だから当初は気持ち悪くなってしまったのだと考えられる。まあ著者は生まれも育ちも東京であるが、東京があまり好きではなく、あるいは必ずしも長いものに巻かれたがったり、学歴や偏差値至上主義でもないが···。
また、パラレルワールドの移動以外にも、神仏や未来人や死後の人などによる、時空間の情報の浄化や再編成も考えられると思う。現在でも、パラレルワールドや、神仏・未来人等による過去改変などを否定する根拠となっているのは、史的唯物論というカール・マルクスが創始した史観(現代ではイデオロギーや思想ではなく常識だぐらいまで世の中を支配してしまっている史観)※3だが、私は右か左かで言ったらどちらかというと右で、むしろ反共で、マルクス主義と対峙しなければならない立場なのに、当たり前のように史的唯物論のファシズム的な意識に毒されてしまっていて、こういった現象に気付いた当初、気持ち悪くなってしまったのである。誠に恥ずかしいことである。
話は少し脱線するが、日本は右傾化していっており、ファシズム化していっているという人もいるが、日本の左翼、日本の反戦は、インターネットが普及する前は、反戦を言いながら、反戦のくせに、いわば反戦ファシズムと化していたように思う。学校で日教組の平和教育とかで、被爆地に大量の折り鶴を送って、ごみ焼却炉で折り鶴を焼却して資源の無駄遣いなど、その象徴。こうした不思議体験が広く共有される場がインターネット上にあったり、あるいは異世界転生モノの創作が流行ったりするよりも、以前の方がよほどファシズムだったように思う。そんなことをやっていたら、当然、反動も出てくる。今日本が右傾化しているように見えるとしたら、中国の脅威などもあるが、反動も大きいと思う。
著者の大伯父さん(祖母の兄であり、ひとり親家庭で育った父親の後見人であり、著者は養子にされそうになったこともあり、著者にとっては祖父の代わりみたいな人)は、東大卒で、横浜市の水道局長や磯子区の区長もつとめ、第99代日本国首相の菅義偉さんの政界キャリアスタート時に何か関わりがあった恩人みたいな人で、晩年まで意見交換などする仲で、国から叙勲もされている人で、英語も堪能で後期高齢者になっても元気に海外に行っていたような人だが、世代的に間違いなく戦争経験者で、空襲なども間違いなく経験しているが、昔の話で小耳に挟んだことがあるのは、戦争の話は一切聞いたことがなく、横浜市街が舞台の日本最大の喧嘩(おそらく鶴見騒擾事件だと思う)があったのが恥ずかしいみたいな話をしていたのを又聞きで聞いた。
警備会社で会った、とある元逮捕術特錬員で剣道6段のお爺ちゃんは、成田闘争警備にも、大喪の礼(たいそうのれい)の警備にも、オウム真理教のサティアン強制捜査にも参加したが、戦闘とかの話ではなく、日常であったほっこりするような話を話したがるみたいな感じだった。ファシズムにうんざりしている本物ほど、武勇伝をあまり語りたがらず、あるいは大きな話にはあまり触れたがらず、ちょっとぼかしたり小さくして、反ファシズム的になる傾向があると思う。
だが、著者は基本的に反戦で、ファシズム否定、ファシズム嫌いだが、必ずしも、ファシズムが全て悪いことというわけではない。その警備会社で会った警視庁OBのお爺ちゃん(当然、防犯カメラとかがない時代から警察にいた)に、私の母親は1960年生まれで、80年代の横浜をリアルに知っているけれど、いまだに、あるところにはあるみたいな感じで、いちいち報道されない、表沙汰にならない物騒なことがたくさんあるみたいな意識があるんですよ、今そんなことがあったら全部報道されるじゃないですかと言ったら、猛烈に反発されて、私が折れて、まあ警視庁は昔からずっとちゃんとやってたかもしれないですけど、神奈川県警とかは警察の機能がパンクしちゃってたみたいですよというふうに少し折れたが、それでもなお、反発された。これは素敵なファシズム、いいファシズムだと思う。私も、そんなにファシズム意識が強いなら、警察官採用試験を受けて警察官になったらいいのかもしれない。税関とか麻薬取締局とか警察とか海保とかの大麻や違法薬物の取り締まりとか、性犯罪や殺人事件の捜査とかは、「あるところにはある」感では困る。北朝鮮による拉致や工作船も、「あるところにはある」感や「たまたま」感では困る。1件たりとも見逃してはならないし、取り締まりはファシズムでいいし、むしろファシズム的であるべきだと思う。国税局も同様である。
話を戻すが、問題は、なぜこういった記憶が、ほとんどの人は記憶が上書きされてしまうか忘却してしまうのに対して、自分を含めた一部の人の場合は、改変前の記憶が残りやすいのかという部分であろう。実は、インターネットには既に、こうした世界の変化を捉え、改変前の記憶を共有する人たちのコミュニティがあるのだが(本書が初見の方はマンデラエフェクト、あるいはマンデラ効果、で調べてください)、そこで言われているのは、改変前の記憶が残りやすい人というのは、感受性が高く、繊細で、感情移入しやすく、共感能力が高い人が多いということである。あるいは、ADHDやASDなどの発達障害の傾向がある人も多いとされる。著者も、ギフテッド型ADHDの診断を受けているが、そういった特性が関係しているのかもしれない。
この問題について考察していくうちに1点辿り着いた懸念がある。著者は、繰り返すが、両親が幸福の科学という新興宗教の熱心な信者で、今は忠誠心や信仰心や活動実態はまったくない幽霊2世会員だし、今は実家から離れて一人暮らしなのでそういう世間話が入ってくることも全くないのだが、実家に住んでいた頃は、すごく背負っている貧・病・争・災の厄の重い人の話とか、いろんなびっくり人間みたいな話、この世の不思議みたいな話をよく聞かされたのだが(新興宗教2世会員あるあるだと思う。例えば、「エホバの証人」の2世会員とかもいろんな世間話を聞かされて育つのだろうと思う)、例えば、ある会員さんに、自殺の現場に遭遇しすぎて、首吊り自殺、飛び降り自殺、踏み切り自殺、飛び込み自殺、人身事故を、ぜんぶコンプリートで目撃したことがある会員さんがいるとかいう話を聞いたことがあるが、私は恵まれたことに、守り神が強い体質で、一度たりともそういう現場に遭遇したことがなく、学生時代はなぜか自殺件数が統計上はワースト1位になっている中央線の西八王子駅にも私用で通っていたが、1度たりとも自殺の現場に遭遇したことがないし、あるいは、警備員の仕事でも、シフトで入ると、やたらと発報を引き当てるとかバイスタンダーになったりするみたいな方もいるらしいのだが私はそういうのも全然ないし(医療従事者でもシフトで入るとやたら急患やご臨終を引き当てるみたいな方もいるらしい)、あるいは他方、女性の方などで、学生時代に毎日のように痴漢の被害に遭っていたなどというにわかには信じ難い証言がたまに出てくることがあったり、あるいは女子高生の何パーセントが売春しているみたいなデータが出てくることがあったりするが、でも、私の観測している現実では絶対にあり得ない話で、だが嘘を言っているようには見えない場合もあって、
しかし、この世界のマクロなスケールの社会的な現実は、当然、バラバラではなく、ある程度、厳密に運行されなければならないわけで、こういうのを理論物理学の世界でなんというのか、私は物理学は高校中退レベルだから何か間違っているかもしれないが、事象の地平面? あるいは事象の地平線?(シュバルツシルト面、あるいはEvent Horizon)※2が必要になってくるわけで、おそらく、警備会社、警察、消防、自衛隊、医療機関、教育機関、国税局、マスコミ、などがそれに該当するのだろうと考えられる。あるいは、2019年から始まり数年間世界的に流行した新型コロナウィルス感染症の時に思ったが、火葬場と葬儀場もそうかもしれない。
そういう機関からも弾かれるほど、極端で異様な記憶などがある人は、俗に、統合失調症などとされる、あるいは、統合失調症とされて苦しんでいる方々の中には、事象の地平面※2で、地獄のような異次元世界との境界領域で、結界のお役目を果たされている方などもいるのかもしれないとも考えられる。だから私は、誰のどんな話でも、話だけは聞くようにしているし、同様の観点・発想から、週刊誌社にも警察にも、誰のどんな話でも、話だけは聞くというマニュアルや部署が実はあるらしい。アメリカのCIA(中央情報局···国家戦略的な対外情報機関)にもそういった窓口が存在し、いずれも、ほとんど9割9部は妄想や与太話であるから、職員からは苦痛な業務とされて敬遠されているようである。
著者は、警察官の採用試験を受験したこともあり、今でもちょっと、自衛隊の情報部員や特殊部隊員にも憧れているのだが、私は、トラブルキャンセル体質、幸運体質なので、もしかすると自衛隊の情報部や特殊部隊に入ったら、有事キャンセル体質ということで役に立てるかもしれないが、情報部員や特殊部隊を目指すなら、幸運すぎて全部回避してしまうというのでは仕事にならないだろうし、警察官を目指すのなら、むしろ厄介ごとやトラブルを引き当てて遭遇しまくる体質でなければならないのだろうか?などと考えたりする。警備員のときも本当に有事の際にも備えて、自作の、救護用品一式を詰めたファーストエイドキットを持ち歩いたりもしていた。(誰でも半日で取れる)上級救命講習も行った。
そのようなマインドがあるため、現在でも、マンデラエフェクト関連の匿名掲示板等に常駐し続けているが、そのことに多大なリスクがあることも懸念しており承知している。人間の持つファシズムな意識とコージー※1な意識の、対立、葛藤、中和を扱った作品(映画やアニメなど数多ある。ラノベ・アニメ作品なら などが人気である)は多数あるので、そうした作品から栄養を得ることも怠らないようにしている。そのためか、日常生活において特段の支障は今現在、生じていない。今は、ある種の悟りを開いたのかもしれないが、コージー※1な意識とファシズムな意識が併存している。シンクロニシティ現象も日常茶飯事だが特段の支障はない。
ほかにも、こんなようなことが日々多数あるのだが、例えばYouTubeの動画などが、以前見たときとは、微妙に掛け合いのニュアンスなどが変化しているなどといったことがある。臨死体験者の人の報告で、「過去戻し」というものがあり、死後に生前の徳に応じて過去を改変できるという報告があるのだが、そうだとして、それをしょっちゅう観測できる自分は何なのか?と思うことがある。まさか、自分が地球人類の時間進行の最先端だとは思わないが、下級の神様や神官レベルの権限というか、何かがあるのは間違いないと思う。だが、おそらく死後の人などだと思うが、自分よりも上位の権限の神様や存在もいることを実感により確信している。著者は、両親は横浜出身で、関西などにルーツがある人などはいないのだが、日常生活でも仕事でも、やたらとADHD的な無意識の衝動による発言などが「フリ」とか「オチ」とかが効いているような感じがあるのと、だがたまに先回りされることもよくある。なので、自分が地球人類の時間進行の最先端ではないことは確かである。また、それによって、自分が輪廻転生から外れた外道ではないことも分かるので、とても安心する。もしも地球人類の時間進行の最先端の者がどこかにいるとしたら、考えられるのは、ジーザスオブナザレ(イエス・キリスト)のY染色体が同一の直系子孫などで、米国の情報機関や軍と連携して、異なる時間進行を試みる敵国やテロ組織などと戦っている可能性が考えられると思う。私は、穏やかに生きたいので、そんな権限がなくて本当によかったと思う。『とある魔術の禁書目録』というラノベ作品は、旧約と新約で世界が変わったという作品だが、作者は確実に何か分かっていて書いている。
だが著者も、説明が困難な、長くて複雑で、目覚めた後も記憶に残る夢なども色々見ている。仏教的にはおそらく阿頼耶識(あらやしき)につながる恐ろしい夢を何度か見ている。しかし、それがどうしてもイヤだから夢を見たくないとか、そういったことはないし、その日の翌朝ぐらいまではちょっと影響が出るが、長期間にわたって影響が残り続けるようなこともなく、特段の支障は現在生じていない。
怖い夢ばかりではない。昔、著者は、イスラムなんてろくなもんじゃないと思っていて、匿名掲示板に、イスラムをけちょんけちょんに批判する書き込みをしたことがある。そうしたら、その日の夜に、夢の中に、女の人というか女神さまが出てきて「本当のイスラムはそんなものじゃない」などと言われ、そのあと、旧日本海軍の五省訓みたいな、失敗しない生き方、後悔しない生き方、みたいな情報がぶわーっと大量に、洪水のように頭の中を駆け巡って流れ去っていって、少しでも記憶に留めておきたかったが、目覚めてから、読後感以外はすべて忘れてしまった、ということがあってから、イスラムには一目置いてるのだが、イスラム教なのに女神様という時点でもう、この世界のイスラムとは全然別物である。また、非常に人間くさいメッセージだか御神託だかを頂戴したことも多々ある。
まえがき執筆 令和7(2025)年10月05日
※1用語解説:コージー(Cozy)
英単語「cozy」は、「居心地のよい」「こぢんまりとして温かい」「くつろいだ」といった意味を持つ形容詞です。日本語では「コージー」と表記されます。
この「コージー」という感覚は、推理小説のジャンルである「コージー・ミステリー(Cozy Mystery)」という言葉にも表れています。コージー・ミステリーとは、血なまぐさい暴力描写や過激な性描写を排し、小さな町や村、あるいはカフェや書店などの親しみやすい舞台を中心に、温かみのある人間関係の中で謎が解かれていく推理小説のサブジャンルです。アガサ・クリスティの作品群がその代表例として挙げられます。「コージー」という言葉は、こうした「心地よく、安心できる、身の丈に合った世界観」を端的に表現しています。
本書および本ページにおいて著者が用いる「コージーな意識」とは、こうした語義を踏まえた上で、権威主義・教条主義(ファシズム)的な意識とは対極にある、柔軟で開かれた、温かく居心地のよい認識のあり方を指しています。
※2用語解説:事象の地平面(シュバルツシルト面 / Event Horizon)
一般相対性理論における意味:アインシュタインの一般相対性理論を基础に、カール・シュバルツシルトが1916年に導出した解から生まれた概念です。ブラックホールの周囲に存在する「帰還不能点(point of no return)」を指し、この境界面の内侧に入った物質や光は、いかなる手段を用いても外部へ脱出することができません。「事象の地平面(Event Horizon)」という名称は、この境界の向こう側で起きる「事象(出来事)」が外部の観測者には原理的に知覩不可能であることに由来します。「シュバルツシルト面」とも呼ばれます。
本文における意味:著者はこの物理学的概念を、社会・認識論的なメタファーとして転用しています。すなわち、並行世界や多世界解釈的な現実の多様性が存在するとしても、この「マクロな社会的現実」が無秩序に乱立することなく、ある程度の一貫性・整合性を保って運行されるための「境界装置」として機能する社会的機関(警察・消防・医療・教育・マスコミなど)を指す比喧として用いています。
統合的な意味:物理学における事象の地平面が「情報の遭断と境界の維持」を担うように、社会における「事象の地平面」的機関もまた、異なる現実認識・記憶・世界線が共存する中で、社会的な現実の秩序と整合性を担保するための「情報フィルタリング機能」を果たしているのではないか——著者はそのような問いを提示しています。これは、マンデラエフェクト現象が「なぜ一部の人にしか記憶されないのか」という問いとも深く接続する視点です。
関連動画:月ノ美兎さんの切り抜き動画
「なぜか街中で自分の話をしている人だけ、不思議に謎にまったく見かけない」という主旨の切り抜き動画。「事象の地平面」的な認識の境界と、個人の観測する現実の差異という本文のテーマと深く共鳴する内容です。
※3用語解説:史的唯物論(Historical Materialism)
学術的な意味:カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが19世紀に創始した歴史哲学・社会理論の根幹をなす史観です。「唯物史観」とも呼ばれます。その核心は、「社会の歴史は、精神・観念・宗教・文化ではなく、物質的な生産様式(経済的土台)によって規定される」という命題にあります。すなわち、人間の意識が社会的存在を規定するのではなく、社会的存在(生産関係・経済構造)が人間の意識を規定する、という逆転した因果関係を主張します。この史観に基づけば、歴史は「生産力の発展」と「生産関係の矛盾」によって弁証法的に進歩するものとされ、「超自然的な力」「神仏の介入」「霊的な存在」「並行世界」「時間改変」などの概念は、原理的に歴史の動因たり得ないとして排除されます。
本文における意味:著者が問題にしているのは、史的唯物論という特定のイデオロギーそのものよりも、それが現代社会において「イデオロギーではなく常識」として内面化・自然化されてしまっている状態です。すなわち、「過去は変わらない」「記憶の相違は単なる誤りである」「超自然的な現象は存在しない」という前提が、政治的立場を問わず、右翼も左翼も、宗教者も無神論者も、広く共有する「当たり前の認識枠組み」として機能してしまっているという指摘です。著者自身が「反共・右派」の立場でありながら、この史的唯物論的な認識枠組みに無自覚に囚われていたと告白している点は、このイデオロギーの浸透の深さを示す証左といえます。
統合的な意味:マンデラエフェクト現象を「記憶の誤り」として即座に棄却する認識論的反射は、史的唯物論が現代人の「常識」として深く内面化された結果である——著者はそのように診断しています。この視点は、マンデラエフェクトへの懐疑や拒絶反応が、単なる「科学的態度」ではなく、特定の歴史哲学的・存在論的前提(「現実は物質的に一義的に決定されている」)に根ざしたイデオロギー的反応である可能性を示唆しており、本書全体の認識論的批判の核心に位置する論点です。
※4脚注:パラダイムシフトと変則的事例
トーマス・クーンが提唱した「パラダイムシフト」の本質は、単なる流行語としての「劇的な変化」ではなく、既存の科学的枠組み(パラダイム)では説明できない「変則的事例(Anomalies)」の蓄積によって引き起こされる構造的転換を指します。クーンの『科学革命の構造』において、科学の進展は線形的ではなく、通常の科学(Normal Science)の期間に蓄積した異常現象(Anomalies)が臨界点に達することで、革命的な転換(Paradigm Shift)が生じるとされています。
本稿におけるマンデラ効果は、まさに現代の認識論における「変則的事例」であり、個人の記憶と客観的事実の乖離が臨界点に達したとき、我々の世界観そのものが根底から覆る可能性を示唆しています。従来の科学的世界観では説明できない現象の蓄積が、新たなパラダイムの必要性を示唆しているのです。
学術的な科学革命のプロセスと、現代の集団的記憶の変容という現象を接続し、新たな現実認識の枠組みを模索するための重要な概念として位づけられています。この文脈において、マンデラ効果は単なる心理学的現象ではなく、現代社会における認識的な「変則的事例」の集積であり、やがて来るべき新しい認識論的パラダイムへの移行を予示する現象として解釈することができるのです。
本書の全容を知る
このまえがきで示された著者の思想と心構えを、360以上の実録ケースと数学的考察を通じて深く掘り下げた本書をぜひお読みください。